マリオカート7の思い出
マリオカート7。2011年12月発売。
3DSのソフトの中ではかなり遊んだ記憶がある。
マリカWiiから遊んだ身としては、カスタムを選べたり、陸海空を運転できたりするのが衝撃的だった。
いつ買ったか覚えていないニンドリの攻略本には、例の最強カスタムが載せられていた。NOBUOさんが書いた?らしい攻略をしっかり頭に叩き込み、ラインを覚えた。
バグショートカットは、友達からかインターネット伝いだったか、もちろん知っていた。ウーフーアイランド2のバグは再現性がかなりあったから、バージョン更新が来るまで?はオンラインでもできていたと思う。確かオフラインのグランプリで、わざとスタートダッシュをミスって、中位か下位でキノコを用意してショートカットに突っ込んでいた*1。
オンライン対戦はどのくらいしただろうか。レートをどれだけ上げたかも覚えていない。自分がプレイしていたときは、チーターや妨害はおらず、快適に走れていた。
今思うと、かなり前ゲーだったとは思う。1位スタートで抜けてしまえば、後はタイムアタックみたいな感じだっただろうか。
いつからか、インターネットでマリオカート7の動画を見るようになった。そのときには、もう8か8DXをプレイしていたか、時期は覚えていない。
そこで7のオンラインが色々と悲惨な状況になっているのを知った。
後は皆さんの知る通り、おもしろ半分で見ていたマリオカート7はいよいよオンライン終了となった。
最後の日には、例の配信者のライブを見ていた。あのとき彼はどのような雰囲気だったか。
そして今日(昨日)、その配信者が引退すると突然発表した。
彼はマリオカート7になったのだ。
発売日からオンライン終了日まで、7と向き合ってきた彼に、まずは敬意を示したい。
彼がいなければ、マリカ7のことなど記憶の底に沈んでいたと思う。昔の記憶があるからこそ、最近のオンラインの異様さがより伝わった気がする。
さて、彼は呪縛から逃れられたのだろうか。
彼は幸せになったんだと思う。逃げられない運命から逃げられるときが来て、正しい道を選んだ。7にまとわりついていた足かせがようやく今解かれたのだ。
私にいっときの楽しみを与えてくれたが、彼自身は楽しかったのだろうか。悩みながらも、それでも7と向き合い、7とともに逝った。
マリオカート7と同化したいま、私は前進しなければならない。
視聴者もまた、呪縛から開放されたのだ。もうじゅうぶん向き合ったから、次は前に歩く番だ。それぞれの道をゆく。
あのゲームから何を得たか?どんな人がこの世界にいるとわかったか?
彼には、幸せになってほしいと心から願っている。これだけ大変な思いをしたのだから、この先はいいことが待っているに違いない。
手持ちのSNSに蓋をした今、彼はどんな気持ちだろうか。長年遊んだゲームとの別れ、いや一体化。he ではなく it と呼ぶべきだろうか。
マリオカート7は、もうなくなったのだ。
*1:実際にはキノコなしでいけたらしい
無能な自分に絶望する
海外勢が集まるコミュニティで知った「built different」という言葉が、それを初めて知ったときから、ずっと頭に残っている。先天的な優生ということだ。自分は誰かより勝っている(何の分野で?)かもしれないが、もちろん、自分は誰かより劣っている。
誰かと、同じ物事を同じ時間でしても、終了する時刻が異なる。大抵は、自分より相手のほうが早く終わる。すべきことをてきぱきできない人間をわざわざ好む者はいない。私は敗者なのだ。そう感じたとき、毎回胸が苦しくなり、居場所を失い、存在する価値を喪失した気分になる。実際、自分は無能で無価値であるから、誰にも信用されないし、誰も改善点を教えてくれない。
時々、そのような気持ちがある程度続くと、生活に支障が現れる。何もしたくない、何もできない、体が重い。心も重い。Google 検索で「しにたい」と検索する。一番上に出てきたサイトに書いてある、フリーダイヤルに勇気を出してかけてみる。無機質な機械音声に門前払いされて、せっかくの努力すら侮辱される。もしかすると、生身の人間が事前に放った言葉なのかもしれないけれど、そのようなことを考えている余裕は一切なく、とにかく話を聞いてほしくてたまらないのだ。
しかし、自分の不幸な話を聞いた人は、その人すら不幸になってしまうのだろう。負の連鎖は自分で止めないといけない。そもそも負を生み出したのは自分であり、他の健全な人に毒を塗りにいくなどしてはいけないのだ。でも自分で生成した毒に窒息しそうになると、どうしても他人に伝えたくなる。本当に生きる意味がない。
他の人より優位になれる方法はない。なぜなら「built different」だからだ。生まれつき持つものは違うのだから、ないものねだりなのだ。今までも、これからも、自分は自分より優れている誰かの餌となり、飼い殺しにされるだけの人生に違いない。誰かの成功を祝い、自分の失敗を責められ、永久に貧しく生きる。死にたくても死ねない。そんな勇気すらないし、死んだら数時間後には「自分のいない世界」として世界が動き出すのだ。無能な自分が一人減ったくらいで、誰かの迷惑にはならない。
唯一心配してくれるのが親ならば、それは幸せなことだ。しかし、自分はそうは思わない。なぜ他の人は先輩や後輩、同僚に子供、年寄りにまで尊敬されるのに、自分にはそれがないのか?怒られたって構わない、それは贅沢だとは思わない。他人に標準装備されているものが、自分にはないのだ。それを欲しがって何が悪いのだろうか?
自分を気にかけてくれる人が親しかいないのならば、それはつまり、毒を塗る人がごく少数ということだ。どろどろの原液で濃度が高い死の液体を一番大切な人に塗りたくる。自分は死神である。一方、毒が薄ければ、ある人には薬となり、当人を励ますきっかけにもなるだろう。
無能な自分が頑張って例え話をすると、誰かに「死にたい」と言うより、「最近〇〇がうまくいかなくて、気分が落ち込んでいる。なんだか清々しい気分とはいえないし、ちょっとしんどいんだよね」と言ったほうが、会話の返球をし易いし、そこまで気を害しないですむだろう。負の情報を与える以上、相手まで嫌な気分にさせてはいけない。もし相手が「励ますこと」で自分の存在価値を知り、自分を認めてくれるなら、それができる手段をとったほうが当然良い。
どんなに優劣があっても、死んだら意味がなくなる、というのはあると思う。どうせ100年後には、少なくとも自分にとってはこの悩みなど不毛である。せめて、人類の一生において、良いこと(プラス点)と良くない点’(マイナス点)の差が一定の値をとることになっていればいいのに、と思う。先に得した人は、後々そこまで良いことは怒らない。逆に最初苦労した人は、後で報われる。結果を知っていれば、かなり楽になれるのに、この人生というゲームのルール説明は、生まれてしばらく経った今でも不十分である。
よく「最終目標から逆算することで、途中の目標や今の進捗を見つけやすい」と言うが、人生の最終目標は誰にもわからないし、良いことと悪いことが道中でどのくらい起きるのか、その割合がわからない以上運ゲーであると言わざるを得ない。正直、貧富の差は、個々によってかなり存在すると思う。産まれた国の時点でもう幸せだとか、普通に五体満足で生きられているのにまだ欲があるのかだとか、耳が痛い意見は多くある。しかし、それらはもっと上にいきたいという欲望を抑止する理由やきっかけには到底ならない。いくら誰が欲張ったって、しかも他人に迷惑をかける状態からかけない状態に脱却しようとしているのだから、別にかまわないのではないか。
こうやって死にたいだとか消えたい気分になって、誰も話し相手がいなくて、誰に読まれるか、読まれないかもわからない場所に気持ちをぶつけることができるのは、少なくとも自分が持つ一つの幸せである。でも、もっと良い方法があるはずだ。「built different」の差を埋めるつもりは全くないけれど、ちょっと頑張ってみて、絶望して。また死にたくなって。その繰り返し。とりあえず生きるけど、でも死にたい気分と常に隣合わせである。
2023年にこなすこと一覧
はじめに:「したいこと」の忘却と記録
2023年が始まってまもなく30日が経つ。今日になって、ようやく今年のカレンダーを壁に飾った。1年、すなわち12ヶ月のうち1ヶ月が過ぎようとなると、時間はあっという間に感じる。
「したいこと」は多くあっても、「したこと」の数は、「したいこと」より圧倒的に少ない。それは、「したいこと」を単に忘れているからだったり、「したこと」に時間を消化したあまり「したいこと」をする時間がないからだったりする。
「したいこと」は、紙や電子媒体上に記録することにより、その忘却を防ぎ、「したいこと」を実行する機会を増やすことができる。ここでは、2023年に「したいこと」を書くことにする。
2023年に「したいこと」
以下に、箇条書きで記録する。
2023年に osu! で「したいこと」
私が誰であるかについては置いといて…
- 今年 Ranked する SR が 3 未満かつスピナーが 0 の譜面を HDDTHR もしくはそれより倍率の高い Mod で SS する
- 今年 Ranked する SR が 3 未満かつ長さが 100 秒未満の譜面を Fullmod で SS かつスピナーボーナスを可能な限り最大限に得る
- Top 50 を累計 10,000 個にする(6,124個:2023年1月22日現在)
- Top 1 を累計 200 個にする(137個:2023年1月22日現在)
- SR が 3 未満かつ Top 50 に入れないかつスピナーが 0 の譜面をすべてプレイする 達成済:TODO: 日付
- Camp プログラムの改良
- Flashlight の 体系化を試みる
2023年に IRL で「したいこと」
- 課題を期限前に提出する
- 部屋を綺麗にする
- 家計簿をつける
- 競技プログラミングを始める
- ゴミを出す
- 日記を書く(2000-3000字 / 日)
思いつく事柄を深く考えることなく列挙した。思い出したら追記をする。また、進捗状況を1ヶ月に1回程度の頻度で振り返ろうと思う。
ゲームやアニメを積んでしまう原因は何か
自分の反省として,「つみ」の文化を挙げたい.好きと感じるゲームやアニメがあっても,手を出すまでに時間がかかるのだ.
例えば,2018 年に Qruppo から発売されたゲーム,通称「ぬきたし」がある.発売後に存在を知り,このとんでもないゲームをやってみたいと思った.
しかし,購入したのは 2020 年のことである.さらに,現在に至るまで完全クリアに至っていない.この行動の遅さの原因は何か.
原因は,すすんでやりたいほど興味がないから,だと推測している.「やってみたい」のに興味がないとは何か.他にやってみたいことがあり,ぬきたしをする優先順位が低いのだ.
面白い,面白くないで優先順位は決まらず,むしろ瞬間で快楽を覚えるか覚えないかで決まるのだ.
すぐに気持ちよくなれる代表例は,自慰行為であろう.一人で安全な場所なら,思い立ったらすぐ実行できる.
あるいは,アクションゲームや FPS であろう.装置を使って,すぐに人物が動く.動いた結果,次の空間に移る.1 秒間に 60 回やら 144 回,絶えずコマ送りされる世界.一瞬たりとも目が離せない.
それに比べて,ノベルゲームはどうか.もしくは,書籍でもよい.面白いと感じるまでに,どれほどの時間がかかるだろうか.少なくとも,フルプライスのノベルゲームなら,数時間はかかるであろう.
そして,我慢した時間が長ければ長いほど,その快楽が大きくなるとすればどうだろうか.
我慢は耐え難いことだ.耐え難きを耐え,忍び難きを忍び,その先にあるのはさぞかし綺麗な世界だろう.自分は,我慢できる人だろうか.
いや,できない.できないから,ぬきたしを後回しにするのだ.面白い話が待っているのに,気持ちよくなれるのに,起動ボタンを押せない.
反省して,耐えることで得られることがあるのだと,自身に学習させた.
TS7430 で PGBK だけインクが出ない問題
概要
文書を印刷したら,白紙のまま出てきて困惑してしまった.
おそらく,文字を印刷する顔料インク(PGBK)が出ていないのだろう.
解決方法
この問題の解決策はかんたんである.クリーニングを行うだけである.
Canon 公式の FAQ に沿って,それを行えばよい.
補足
ノズルチェックパターンの変化を載せておく.
クリーニング前*1:

クリーニング後

これで,当初の目的の文書を印刷することができた.
参考資料
- ブログマスター.プリンターの黒(PGBK)だけ出ない!ヘッド洗浄の失敗談 - PC.JUNYOUの隠れ家.https://junyou-kakurega.com/blog-entry-158.html.(参照 2021-09-22)
*1:印刷にムラがあるように見えるが,実際はムラがない.クリーニング後も同様.
男だけど甘やかされたい
こんなことを言ってもいいのだろうか、迷ったが、自分の結論はこれである。
ネットゲームのチャットで、自分の好きなものをつまらないと言われてしまった。それでショックは受けなかったが、心の奥底で悲しんでいる状態だ。
今は夏休みで、おそらく小学生や中学生の発言が目に付きやすい時期だから、嫌な言葉がくることは予想できた。チャットでは、他にも shit や damn など否定的な言葉が多く使われた。
そして使った側はその使った事実を1分後には忘れているのだろう。自分は少なくとも1時間はこのことでずっともやもやしているのにも関わらず。
愚痴なので出典を探す気になれないが、相手に暴言を吐くことはとても気持ちの良いことらしい。その快楽に溺れると、そこから抜け出せなくなるというな。
仮に大学生が小学生に暴言を吐かれたとしても、ネットなら相手の年代が分からない。おそらく小学生や中学生だろうという憶測でしかない。
小学生が何も考えずに言った言葉で悩んでいるなんて、他人から見ればバカバカしいだろう。けれど、相手のことがスクリーンネームしかわからない以上、何も言えないのだ。
好きなものは隠そうと思う。信頼できる人にこっそり見せようと思う。見せていいねと言ってほしいのだ。これは甘えですよね?甘やかされたい。